SNSで交流をしなかったらInstagramのタイムラインがすこぶる心地よいヒミツの隠れ家になった

義理も果たさず、ウケも狙わない。仕事もしない。
ただ、「イイ!」と思ったものだけを集めまくった自分のInstagramが好きでしょうがない。

ここには私の感性しかない。
自己満足だけのコレクション。
好きなものを集めた宝箱。

それが私のInstagramである。

交流しないSNS

「あの人に見せたい!」とか「ブランディングの足しに」とかの、外部に対する気遣いは一切ない。
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス=インターネットを介して人間関係を構築するサービス)であるにもかかわらず、交流もほとんどない。
よそさまへの「いいね」もほとんどしない。

「SNS疲れ」という言葉がある。
楽しむために始めたSNSなのに、いつの間にか他人からどう見えるか、どう思われるかに気を取られて気軽に使えなくなってしまうことだ。

私は、他人の目を気にしてSNSでの発言を制限するなんてことはない。
とはいえ、「ウケるね」数やコメントが気にならないと言えばウソである。
返信へのプレッシャーも多少ある。

そうやってさんざん交流しているFacebookやTwitterに比べたら、Instagramのひっそりさは別世界のようである。

交流しない使い方

積極的な交流をしないInstagramの使い方は、試験的にやっているもの。
義理もウケも介入させなかったらどうなるのか?をやってみている。
別人格を演じるつもりはなく、自分の中の一部分だけを出してみている。

ところが、たまにうっかりウケを狙った写真を上げそうになる。
知人の近況に反応しそうになる(それらは自作の弁当や他愛ない子どもの様子や活動報告であり、私の感性とは別の種類のものである)だが、よそさまとの交流は別の場所でやればよい。
FacebookやTwitterはそのために使っているのだから。

私にとってInstagramの自分のタイムラインは非常に居心地がいい。
まるで、誰にも教えていない、自分だけの秘密基地のようである(全公開してるけど)

隠れ家もある会社

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