ドカンと一発
突拍子もない行動に出て私のド肝を抜いた人がいた。
その人は、私の苦手とする「距離」をいとも簡単に克服していた。
「距離」がネックで動けないでいる人というのはある一定存在するようで、このとき私と一緒に驚いた人が少なからずいた。
だから一時期、この驚愕の行動力についての話でもちきりであった。
一時期。
忘れられた人
とあるところから、件の人の近況がもれ聞こえてきた。
どうやら、今でも例の行動力で距離という概念を手玉に取っている様子。
距離を苦手とする私にしてみれば、いとも簡単に遠方へ出かけていくというのは憧れる行動力である。
「そういえばこの人、突拍子もない行動力を持ってるんだった」
過去形なのである。
なんということであろうか、あんなにド肝を抜かされたはずなのに、憧れの行動力のはずなのに、その人の存在をすっかり忘れていたのである。
忘れてしまう理由
なぜ忘れていたのか。
それは、初回にド肝を抜かされてから以降、その人の姿を見なかったからである。
これは完全に、見ていなかったこちら側の問題なのであるが、見ていないというところがポイントなのだ。
あれからずっと、SNSの投稿を見るわけでもなく、ブログで発信があるわけでもなく、人の噂に上るわけでもなかった。
ましてリアルで会うわけでもない。
思い出したのは、あるところから近況がもれ聞こえたという、偶然だった。
そう。
姿を見かけなかったから忘れてしまっていたのである。
忘れられるという恐怖
そうか。
一発ド肝を抜くことをやってみせたってダメなのだ。
私はここにいるぞー!と大声を出してアピールし続けていなければ、忘れられてしまうのだ。
なんという恐怖。
一発ド肝を抜くことなんて、しょっちゅうやれるもんではない。
一瞬のラッキーに恵まれたとしても、あとは鳴かず飛ばずというのが一般人のパターンである。
だったら他の毎日は、ひたすら地道な営業をして回るしかない。
ヘタでも毎日1000本ノック。
質か量かのブログ論がときおり話題にのぼるが、私は量でいく。
ちなみに、
ド肝行動力の人は、今からいろんな発信を始めるはずである。
その準備のために動き回っている、んじゃないかなぁと私は解釈している。