防災だの備えだのは、ふだんの暮らしの中に溶けこませたほうがやりやすい。
だからオモシロ防災訓練では、今日できることをキーワードに自助と共助ネタをしゃべっている。
今日の生活に防災・備えを取り入れるというのは、なにも家具の固定をするとか防災グッズを買ってくるとかだけではない。
いつもの生活でやっていることを、「災害のときだったらどうかな?」と想像してみるのもいい。
まだ起こっていない災害は、自分の頭で想像するしかない。
たとえば寒中のもちつき大会で
話は大幅にそれるが、私はあんこの入ったよもぎ餅が好きだ。
だから、お世話になっている金融機関でもちつき大会が行われると聞いて待ちわびていた。

イヤッホウ!

「よもぎ(あん入り)」にアンダーライン。
もちつき大会の当日は、前日からの急激な冷えこみに加えて風も強かった。
予告されていたスタート時間よりだいぶ早めに行ってみたら、すでに行列。

最後尾はこちら。
北風の吹きすさぶ中、男性スタッフがもちをつくのを横目にみなさん行儀よく並んでいる。
「今日は寒いねぇ」「急に寒くなったなぁ」なんて、見知らぬ同士でも声が行きかう。
強風に飛ばされる千円札を誰かが慌てて追いかけるという、ちょっとしたハプニングがあって場が和む。
地元金融機関の主催する、のどかな歳末チャリティーイベントだ。
だんだん冷えてくる
ところが、開始から20分たっても30分たっても肝心のもちが姿を現さない。
行列の前の方で、女性スタッフがひとりひとりに注文をとっているようではある。
40分がすぎたころ、行列の人々の様子が変わった。
「手際が悪いんじゃないか」
「最初に数を計算しとけばいいのに。銀行なんだから」
「この寒い中でこんなに待たせて」
人々の口からグチが出はじめた。
ようやく先頭の人にもちが手渡され始めた。
だが、数量や種類を確認しながらの受け渡しなので時間がかかる。
「私、仕事を抜けてきてるのに」
「もちを丸めるところはパートのおばさんでも雇えばいいのに」
「あとから出てくるもちは、だんだん小さくなるんじゃないの?」
人々の口から出るのは、明らかな不満に変わっている。しかもかなりの言いがかり。
ちょっと待てよ?
地元金融機関の歳末イベントだからいいようなものの、これが避難所で支援物資の食糧を待っている行列だったらどうだろう。
突然の震度6強でガレキと化した街に、どうにか残った学校の体育館。
寒空の下に着のみ着のままで放り出された人たちが、呆然としながら身を寄せ合っている。
そこへ、ボランティアによるつきたてのもちが届くという情報が出回る。
喰いっぱぐれてはならぬと慌てて行列を作る人々。
こんな、このあとどうなるかまるで分らない不安の中で自分や家族の命がかかっている状態だったら、人々の不満は言いがかりどころではすまないだろう。
さらに悪いことに
さて。
待ち時間と寒さにいら立ちを見せ始めた人々の前に、金融機関の「上の人」っぽい数人が現れた。
そして、「大変申し訳ありませんが」という。
朗報のわけがない。
聞けば、予想以上の来場者に、配るもちが足りなくなりそうだという。
ついては、おひとり様1パック限りということで了承してもらえないか、と。
了承なんてできるわけがない。
なにしろ、1時間以上もこうして並んでいるのだ。
寒いし、ヒマだし、手際の悪いもちつきを見せられるし、挙句の果てのこの事態。
とうてい納得できない。
人々の態度はついに反転した。

詰め寄る人々。
スタッフの指示通り行儀よく3列に並んでいた人々は、追い打ちをかけるこのトラブルに色めき立ち、もはや順番もなにもあったもんじゃない。
「どういうこと!?」
「最初に数えとかないからだ!」
「次は私の番よ!」
顔見知りのスタッフを見つけ、便宜を図ってくれるよう頼んでいる女性がいる。
もちのひと袋をしっかりと握りしめた老人が、なにやら激しい口調で捨て台詞を吐いて会場を出ようとしている。
身につまされるあのシーン
もう一度言う。
これが、避難所で支援物資の食糧を待っている行列だったらどうだろう。
時間にも気持ちにもゆとりがあるはずの今日、いつもお世話になっている金融機関のチャリティーイベント、しかもたかだかもちのことでこのありさまである。
「イザとなったらちゃんとやれる」なんて言えるだろうか。
ここで、南海トラフ地震をあつかった高知県の動画をご覧いただきたい。
物資不足の不満を支援者にぶつける避難者のシーン。
※ちょうどそのシーンから始まるようにしているので、ぜひ見ていただきたい。
男性が支援者にくってかかるこのシーン、大好き。
実に身につまされるシチュエーションだ。
そして、「備蓄してなかった僕たちも悪いんですから!」と仲裁に入る人がごもっともすぎて、冷や汗が出そう。
ちょっとおさらい
ここでちょっと、もちつき大会に並ぶ人々の口から出た言葉を振り返ってみたい。
言葉のあとについているのは、そのとき私が心の中でツッコミを入れていたもの。
「手際が悪いんじゃないか」→ 金融機関の人はもち屋じゃないですからねぇ。
「最初に数を計算しとけばいいのに。銀行なんだから」→ もちの数を計算するのは銀行の業務ではありません。
「この寒い中でこんなに待たせて」→ 待つのがイヤなら帰ってもいいんですよ。
「私、仕事を抜けてきてるのに」→ 仕事よりもちを選んで来てるんですよね?
「もちを丸めるところはパートのおばさんでも雇えばいいのに」→ 「私を雇いませんか?」と交渉したらどうですか。
「あとから出てくるもちは、だんだん小さくなるんじゃないの?」→ それは今のところ憶測でしかありません。
「どういうこと!?」→ いま申しあげたとおりです。
「最初に数えとかないからだ!」→ 過去は取り戻せません。
「次は私の番よ!」→ そのようですね。
オモシロいことに、人々は言ってもどうしようもないことしか言っていなかった。
自分の思い通りにならないことへのいら立ちが表れているのだろう。
それぞれに事情があるのだから、彼らだけを責めるわけにもいくまい。
今こそチャンス!
もちつき大会の、しだいに悪くなる状況の中で私は「これはまさに避難所運営訓練では!?」とひらめいてひとりでコーフンしていた。
高知県の避難所で支援者の胸ぐらをつかむ男性の、あの顔が頭をよぎる。
今こそ実のある訓練ができる絶好のタイミング。
企画なんかしなくても、集客に苦労しなくても、イグジットに高いカネを払って頼まなくても、今ここですこぶるリアルな訓練ができるじゃないか。
不満を爆発させているみなさんに「ご一緒にどうですか?」なんて、とても言えやしないけど。
(その代わり、恐縮した表情でお詫びに来る金融機関担当者に「めっちゃオモシロいです!」って言った)
イメトレ
「もし今が災害時だったらどうする?」をイメージする。
そして、自分がどう考えればいいのか、どう行動すればいいのかをシミュレーションする。
これはトレーニングだ。イメージトレーニングだ。
今日明日どうにかなるものではないだろう。
だから備えの概念を、ふだんの暮らしの中にしみこませよう。
そして、今できることを今やっとこう。

「白もち(あん入り)」をどうにかゲット。
備蓄の効果
ちなみに、北風の中で行列したにもかかわらず私が平然としていられたのは、この次の日にもあんこ入りのもちを手に入れるイベントが控えていたから。
翌日は自分の住まう地域で自治会主催のもちつき大会があり、家族みんなで参加するつもりだった。
備えがあるという状態が、気持ちのゆとりに直結しているのが実感できた事例でもある。