自分の葬儀シーンを想像してみるワークがある。
人生の最後をイメージしながら、自分にとっての大事なことを探っていこうというワーク。
最後に「〇〇な人生だった!」と満足しながら死にたいではないか。
これまでの葬儀
このワークをやるのは3回目。
1回目では、家族だけが思い出話に花を咲かせる葬儀だった。
場所は自宅の南向きの部屋。季節は冬。
静かで穏やかな別れのシーン。
2回目もさして変わらず、自宅でこぢんまりと家族葬を済ませた。
参列するのは、夫と3人の子どもたち。
その他の関係者にはふだん通りの生活を送ってほしいので、死亡の通知はすべての手続きなどが完了してからにした。
3回目の葬儀
そして今回、3回目。
目を閉じて自分の最後をイメージしたとき、真っ白に誂えられた祭壇が見えた。
この整然としたセットは、間違いなくプロの仕業。
出席者の7名全員が、結婚式の新郎が着るような光沢のある白装束を着ている。
これだけ衣装が揃っているということは、レンタルコスチュームに違いない。
祭壇や衣装など、手間のかかる部分はすべて外注したらしい。
ある程度予測しているとはいえ、人の死は急なできごと。
イレギュラーな作業は、慣れぬ素人がやるよりは専門家に任せるほうが合理的。
なんという納得感。
でかした、自分。
準備を始めよう
さて。
今回のワークにおける、合理的な自分の葬儀。
これはなかなか気に入っている。
実現させようではないか。
実現させるには、死周辺の諸手続きを知っておかねばならないだろう。
今年はそのあたりの情報を集めることをテーマにしよう。
喪主の夫はもとより、葬儀に参列者する家族、そして同じく参列者であるイグジットのメンバーにもその旨を周知しておかねまなるまい。
新たな参列者
そうなのだ。
前2回は家族だけで執りおこなわれた私の葬儀、今回ついに参列者が増えたのだ。
イグジットで一緒に働いている、やまちゃん、ひーくん、りっくん。
この3名が増えて、参列者は全員で7名になった。

みんなで葬儀のあと片づけをする(イメージ)。
自分の葬儀は家族以外の人がいるイメージがまるでなかったけど、今回はこの3人が自然に浮かんだ。
しかも完全にいつもの調子で参加しているのだ。
悲しむとか惜しむとかそういうのじゃなくて、いわゆる葬儀という行事に興味津々で参加してる感じ。
すべてが終わったら上の画像のようにみんなで片づけをして、翌日から通常業務に戻るのであった。