10年たってもいまだに慣れない、家の中の「私の知らないところで進む話」

子どものころ

私はひとりっ子である。

家にいるのは父と母、そして私。
父が仕事で不在のときは母とふたりですごし、母が自分のことに没頭しているとき私の相手をするのは父であった。
家の中心は常に子ども、つまり私だった。

もちろん、家の中には私が関わらない案件もあった。
しかしそれは大人の会話であり、私が関与するものではなかった。

ウチのメンバー

私には子どもが3人いる。
家にいるのは夫と私、そして長女と中子と末っ子。

子どもたちはだいぶ成長して、なにがなんでもオカーサン!というほどではなくなってきた。
基本的にそれぞれが好きなことをやっているが、互いに交流する姿も見られる。

長女が末っ子に、あるべき姿を諭している。
夫と中子が、新聞記事から拾い上げたテーマを深堀りしている。
かと思えば、長女と中子の息のあった鼻歌セッションが始まる。

私が知らないところ

家の中に、自分が関わっていない会話がある。
私にとっては、それがとても新鮮に感じられる。

私の過去には、自分が中心になっている案件しかない。
自分が関わっていること以外は大人の領域であり、私が意識するものではなかった。

しかし今は、私の目の前で私とは無関係な話が始まり、楽しまれ(あるいはトラブルを生み)、完結している。
子ども同士で話が進んでいる様子や、夫が子どもと真剣に会話している姿などは日常茶飯事である。

そんな環境になってもう10年以上たつのに、いまだにそれが物珍しくてオモシロい。

実験

ひとりっ子の私にとって、家の中にいる複数の子どもはとても興味深い。
研究対象というか実験対象というか。

さらに検証を深めるためにもうひとり、なんてうっかり考えてしまうほどである。

孫に期待する会社

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