ついこないだ、イグジットで事務のパートさんを募集した。
求人媒体の仕事がデキる担当氏のおかげでよい縁に恵まれ、パートさんは早々に決定した。
社内で求人ミーティングをしたとたんに新たな提案を掲げて連絡くれる求人媒体さんに盗聴疑惑。
まだ頼んでもないのに原稿案を作ってきて、めんどくさいことを解決してくれたうえでさりげなく上位プランを添えてくる周到さ。お客さんの先を行くとはこういうことか。
すばらしい。— よっしー@備えの基本は「まず自分」 (@ne_dsk) 2019年6月30日
今回の求人では、求人媒体の担当者さんにお任せして掲載原稿を作ってもらった。
「ありきたりな」と言ってしまうのは大変失礼なことと承知のうえだが、ありきたりな求人原稿は大変わかりやすい。
なにが言いたいかをわかってもらわなければそもそもの話が進まないのだから、自分たちでヘンに先走った想いをブチまけるよりずっといい。
そんな「ありきたりな」(重ね重ねの失礼をこいているのはさておき)求人原稿に、こんなフレーズがあった。
アットホームな職場♪
「アットホーム」のイメージ
アットホームをウリにしている求人にはよくお目にかかる。
家庭的、自分の家のようにくつろげるといった意味のフレーズであり、肩ひじを張らないでいい気さくな雰囲気をアピールするときに使われる。
ところでみなさん、「アットホームな会社」にどんなイメージを持っているだろうか。
ちなみに私のアットホーム像は、「同じ釜のメシを食った仲」という理由でときに我が身を削ってまで人の面倒を見るオヤジ的な気のいい社長がいる会社である。
そして、そんな社長を裏で支えるオカン的な妻が一升炊きの電気釜でゴハンを炊いて従業員を養っている、である。
要するに情の熱い会社。
いまどきこんなアットホーム像が通用するのか知らないが、私の好みではない。
自分のイメージで言えば、私はアットホームな職場はイヤだ。
まぁ、イメージなんて人それぞれ。
イグジットの求人原稿にある「アットホーム」に誰がどんな想像をするかは、あずかり知らぬことである。
イグジットのアットホーム
イグジットの求人原稿では、「社員4名の」というフレーズに続いていた「アットホーム」。
人数が少ないから、みんなの息づかいが伝わるくらいの身近さですよ、という意味なのだろう。
さすがは求人のプロ。
間違いのない表現である。
しかし、イグジットの「アットホーム」はそれだけではない。
イグジットでは、メンバーそれぞれの持ち味が十分に発揮できるような仕組みづくりに取り組んでいる。
そのため、自分ちのように気楽でいられるのは間違いない。
思うことを口にでき、どんなアイディアでも検討のテーブルに上げることができる。
ただし、アットホームの反面にあるキツさや恥さらしなんてのも、もれなくついてくる。
だから私はイグジットのアットホームについて、こう解釈している。
病気で高熱を出したとき、お願いして座薬を入れてもらうことができる会社。
キレイゴトだけではすまない様子を、これ以上適切に表現できる言葉はないだろう。
ところが夫は、この表現が気に入らないらしい。
「いや、意味はよくわかるんだけどね、なんていうかこう‥‥美しさがないよね」
そしてタメ息まじりに、「仲間に背中を預けることができる」と表現している会社もあるというのに‥‥とヨソの会社を引き合いに出してくるのであった。

イザというときは、この人たちに座薬をお願いする覚悟でいる。