「迷惑かけてすみません」と言われたときに感じた、あの違和感はなんだったんだろう。
「それじゃない」と感じたということは、私にとってその案件は迷惑ではなかったのだろう。
厄介なことだったのは確かだ。
忙しいときに発生した、誰かのミスのあと始末。
「なんでそういうことやっちゃうんだよ!ちょっと先を読めばわかるだろうが!トータルでモノを見ろ!」と叫びたくなったのは間違いない。
しかし、それを口に出したからと言ってなんになる。
まして当の本人に伝えたところでなんになる。
現場は凍りつき、本人は委縮して落ちていく。委縮はさらなるミスを招く。
言い放った自分は、気持ちを発散させて瞬間的にスッキリするかもしれない。
しかし、次に自分に起こるのは、後悔と新たなミスのあと始末と信頼残高の目減りである。
今さら取り戻しようのない過去に時間を使うより、起こってしまったこれを1秒でも早く1ミリでも先に進めた方がいい。
やるべきは前進。
その方が合理的だし、自分にとってもオトクだ。
そうか。
私は、自分にメリットのあることしかしない。うま味を感じることしかしない。
例え誰かのミスのあと始末でも、それをやれば自分がトクすると思うから選ぶ。
迷惑を感じることには最初から手を出さない。
だから「迷惑かけてすみません」に違和感があったのだ。
迷惑なんて最初から存在しない。