夜のオヤツが朝に響くようになったので、やめることにした。
健康とかダイエットとかが動機ではない。
目覚めたときに空腹でないと、朝ご飯を作る気になれないからだ。
作る気がないとロクなものを作らない。
食べ盛りの子どもが3人もいるのに、これではならぬ。
ポテチを食べません
壁のホワイトボードに決意表明を書く。
家族に目標を共有して、ちょっと協力を得ようという魂胆もある。

「今日の夜はポテチを食べません」
安直に掲げた目標「今日の夜はポテチを食べません」は否定形。
ネガティブ表現の目標は達成率が格段に下がる、というのはみなさんご存じだろう。
しかしここは、あえて否定形で行く。
なぜか?
自分の気持ちの動きを観察したいからだ。
1日目
ここ数日で習慣化していた夜のポテチ。
食後、リビングに寝そべってマンガを読みながら食べるポテチは格別だった。
それが急になくなり、ちょっとした手もちぶさたを感じる。
口寂しい。
しかし、ここで食べると明日の朝食を作るモチベーションがゼロになる。
しかし、食べたい。
ポテチに思いをはせてもツラいので、お風呂にでも入ろう。
2日目
今日も食後にやることがない。
ホワイトボードに書いた決意を見ると、ポテチの味と歯ごたえを思い出してしまう。
考え始めるとしんどいので、ポテチどころか決意表明さえもなかったことにしよう。
なにか別のもっとオモシロいことを考えよう。
思ったよりツラいなぁ。
3日目
仕事帰り、スーパーに寄る。
ポテチの棚を目指して店内を歩きながら自分に言い聞かせる。
これは肝試しのようなものだ。
私の決意がどれくらい強いのか、いまこそ見せつけてやる(誰に?)
しかし、ポテチ売り場なんて見ない方がいいんじゃないだろうか。
いやいや、危ないと思ったら私はいつでも引き返せる。
例えここでポテチを買って帰っても、食べなきゃいいんだろ?
ってこれ、完全に依存症の思考じゃない?
そっとポテチをカゴに入れる。
4日目
なんかもう食後のポテチなんてどうでもよくなった。
これはそう大した問題じゃない。
私にはもっと大事でオモシロいことがある。
うん。
もうポテチ欲との闘いは大丈夫だ。
折しも今日は週末。
ポテチ断ちの実験もひと段落ついた。
だからポテチを食べよう。
まとめ
やはり否定形はダメだ。
あるべき姿をイメージしようと目標を振り返るたびに、理想とは正反対のあるべきではない姿が頭に浮かんでしまう。
それをなんとかしてあるべき姿に近づけるため、脳が目標を軽視しようとする。
そして、「つまんないことで決意表明をした」という、よくわからん状態になってしまった。
見事やり遂げても、達成感が少ない。
あと、意図的に「別のなにか」を作るのは効果的。
避けたいことに思いが行かないくらい、もっと興味を引くものがあればいいのだ。
この仕組みだとガマンしてやってる感がなく、ストレスフリーだ。
どうせやるなら、ラクに・楽しく・オモシロくやったほうがいい。