あるはずのものを探している目
自宅の庭をなにげなく眺めていて気がついた。
自分の目がなにかを探している。
この茂みの中にあるはずのものを、探している。

どこにあるんだ。
こういうところならあるはず。
こんな場所ならアレがあってもいいはず。

ホラ、こんな感じで。
近ごろちょっと送水口に関わりすぎたか。
ビルがあればいつも、その玄関先あたりをサーチしている。
ちょっといい植えこみがあれば、ビルじゃないのにそこらへんをサーチしている。
自分の中に「送水口サーチアプリ」が常駐しているようだ。
庭石より送水口が似合う庭
夏。
雑草の茂ったこの場所に、送水口があったらどんなにいいだろう。
ちょっとくすんだ双口の自立型が茂みからのぞいていたら。
実に絵になるじゃないか。
「うちの庭は、手入れしないから草ぼうぼうだわ~」と言っている奥さん!
おたくの庭に送水口を置いてみたらどうだろうか。
きっと似合うに違いない。
使えなくていい。形だけでいいのだ。
そこにあるだけでいい。
いややっぱり、せっかくだから配管をつないで水が出るようにしたいな。
「水の送り口である送水口から水が出る」という、妙なことになるけど。
いつかこの庭に、送水口を置きたい。
レアすぎるお宝
しかし、消防歴20年の夫ですら、自立型の送水口を撤去した経験は1回しかないという。
生きているうちに手に入るだろうか。
双口自立型の設置されたビルが解体されるという話があったら、ぜひ送水口をもらい受けたい。