イヤミな説教ブログを読む理由
イヤミな説教ブログというものが存在する。
タイトルだけでムラッと反感がわくようなやつ。
本文の内容はもちろん、SNSでシェアしたときにつけ加えてるコメントにも「エラソーなこと言うな」とか言いたくなるような、ムッとするやつ。
イヤミな説教ブログを読む理由。
それは、好きじゃない文章を、自分が生みださないためである。
要するに、研究ということ。
そういうのをあえて読むのは、「なぜこれをキライだと感じるのか」のポイントを探るためなのだ。
自分が「好かん」と感じるものを、うっかり生産しないようにしたい。
本末転倒なことをしたくない。
だから、好かんものを読んでいる。
ところが困ったことに、このポイントがなかなか見えてこないでいる。
その結果、読むたびにムカムカするばかり。どこがイヤなのかがハッキリしない。
まだまだ読み足りないということらしい。
まだ当分は、イヤな気分になりながらも読まねばなるまい。
思ってもなかった反応
「イヤミな説教ブログを、自分の文章のために読んでる」
ということをFacebookで発言してみたら、やけにコメントがたくさんついた。
「それって誰のブログ?」
「見た~い!」
「もうバラしちゃえ!」
あらら。
言いたかったことと伝わったことに差が生じてしまったらしい。
「誰のどんなブログが気に入らないと言っているのか」というのはゴシップとしては格好のネタなのかもしれない。
そこで「このブログが」と明示されれば、私だってそのブログを見に行ってみるはず。
気になるもんね。
ひょっとして「自分のブログかな?」と心配してるのかもしれないな。
自分のブログがどう読まれているかというのは気になるもんだ。
今回の本題は、「好きじゃないけど研究のために読む。でもやっぱり好かん」というジレンマだった。
それだけを伝えたかったのだが、うまく伝わらなかったみたい。
「このブログが」と明示しない理由
あんまり問われるので、いっそ「このブログ!」ってバラしちゃおうか。
と思わなかったわけではない。
「バラしてみよっか」と、ちょっと思った。
だけどなぁ。
「キライなものを名指しする」
それはオモシロイのか?
いいや、おもしろくない。
ずいぶん言われたけど「このブログが」と明示しなかった理由。
それは、単に私のオモシロメーターが反応しなかったからである。
キライなことは、わざわざ言わんでもいい。
「私はこれがキライです。なぜなら私には別の考えがあるからです」と、自分の意見を言えるならいいけどさ。
キライな理由がまだわからないのに「これがキライだ」だけ言ってもおもしろくない。
そんなことより、好きなことをたくさん発信するほうがオモシロメーターの反応がいい。

頼みの綱のオモシロメーター