昼間は別の顔
夜の街へ繰り出すことなどほとんどないのだが、昼の夜の街へ繰り出すことはたまにある。
言い回しがややこしいが、つまり、歓楽街にある雑居ビルの消防点検である。
お店の営業時間にオジャマするわけにもいかないので、作業は昼間のうちにやる。
昼間なので、ビル内には誰もいない。
出会うのは配達の酒屋さんとノラ猫ぐらい。
昨夜はずいぶんにぎわったであろうビルの廊下も、昼間はシーンとしている。
歓楽街の雑居ビルは真っ暗だ。
夜の街に自然光は不要。窓のない店舗がほとんどである。
照明をつけても薄暗い間接照明であることが多い。
電気を元から断っている空き店舗に至っては、出入口の扉を閉めれば真の闇。
怖い。

頼りになるのは誘導灯の光だけ。
怖いとか言ってるが、こういうのは慣れなので、何軒もやってるうちに平気になってくる。
外の秋晴れを忘れてしまうほどの暗闇も、表の交通量とは別世界の不気味な静寂も、だんだんどうでもよくなってくる。
壁からの視線
感覚がマヒしてくるので、たいがいのことには驚かなくなってくる。
しかし、そんなマヒした感覚の中ですら、これを発見したときには恐怖を感じた。

なにがかこちらを見ている。
点が3つあると人の顔に見えてしまうシミュラクラ現象というのがある。
「強く押すボタン」も、種類によっては点が3つあって顔に見えてしまう。
だがこれは怖い!
目が暗く落ちくぼんでいて表情が読めない。
そして、強制的につけられた口のフタ。
まるでハンニバル・レクターじゃないか。

拘束着姿のハンニバル・レクター(イメージ図・映画『羊たちの沈黙』)
このハンニバル・レクターが、各階の薄暗い廊下に潜んでいるのだ。
カニバリズムのハンニバル・レクターが、血を思わせる赤を全身にまとっているのだ。
当然ながら、この「強く押すボタン」を押してみて作動試験をしなければならない。
しかし、押したとたん指を喰いちぎられてしまうんじゃないだろうか。
ヒィィィ!怖いッ!
本来の姿
実は、目の部分にはちゃんとフタがあったのだ。
ここんとこに付属の機器を接続するためのジャックがあって、それを保護するためのフタがついていたのだ。
だけど長年この場でおつとめしているうちに、経年劣化なのかヨッパライにもがれちゃったのか、なくなってしまったのだ。
口のとこだって本来は、おなじみの「強く押す」プレートがはまるのだ。
だけど場所柄「押す」という指示に素直に従うヨッパライがいるもんだから、オリジナルのカバーを考案して運用しているのであった。

シミュラクラ現象を引き起こすタイプのやつ。