夫婦で仕事をしているので、「社長の奥さん」とか「吉岡さんの奥さん」とか言われることがある。
呼びようがない人
前職は家族経営だったので、社内に「吉岡さん」がたくさん存在していた。
役職がある人はその役職で呼ばれていたが、特に何者でもない私は呼ばれていなかった。
そう。
「呼ばれなかった」のである。
周りの人は、呼び名の決まっていない私を呼ばないですむよう、私を避けていた。
名前を呼ぶハメにならないように、たくみに会話を調整していた。
それでもどうしても会話が行き詰ってしまったとき、私の呼び名は発音をあいまいにすることでごまかされていた。
名前では呼べないが「オイ」とぞんざいに呼ぶのもはばかられる、といった中途半端な状態だったようだ。
呼ばせる
人の名前が呼べないだなんて思春期の男女じゃあるまいし、いいトシした大人がバッカじゃないの。
とはいえ、あまりにも不便。
呼びやすくするために役名をつけることにした。
その名も「事務長」。
「事務長」は正式な役職名ではない。
事務長もなにも、事務部門は私ひとり。
ラクに呼ばせるためだけに作った、便宜上の役名である。
まったくもってくだらない話だ。
呼び名が変わる
そんな前職を退職して、今はイグジットで働いている。
イグジットに所属するようになってから、周りにいる人がずいぶん変わった。
オモシロい人ばかりになった。
オモシロい人たちは私を私として扱ってくれる。
彼らから見ると私はただの「吉岡さん」だ。
夫婦で仕事をしていることに変わりはないので、名字で呼ぶのが不便な場合もある。そんなときはもっと気安く、下の名前で呼ばれることもある。
私が「よっしー」として活動していることを知っている人は、「よっしー」と呼んでくれる。
「吉岡」からくるこの呼び名、最初はベタすぎると感じていたけど、これだけ周りが使ってくれるからすっかりお気に入りだ。
よっしーと呼ばれる
前職で私は、「社長の息子の奥さん」でしかなかった。
いや、取引先の中には私の存在すら知らない人もいたかもしれない。
今、「前職の取引先の専務」という立場の人が私のことを「よっしー」と呼んでくれる。
仕事上の取引こそないが、SNSでの交流があり、研修で同席し個人的な話をすることさえある。
数年前、この人は私のことをなんと認識していたんだろうか。
「事務の吉岡さん」だろうか。
「社長の息子の奥さん」だろうか。
そもそも、私の存在を知っていたのだろうか。
いや、以前のことなんか今さらどうだっていいのだ。
今、この人が私のことを「よっしー」と気安く呼んでくれるのを、私はとても嬉しく、光栄に思っている。