将来の夢
ムスメの将来の夢は「ふつうのお母さんになること」である。
「ふつうのお母さん」とは、「就労せずに夫の収入で専業主婦をすること」なのだそうだ。
その認識と生活形態は私の好みとは違うけれど、彼女がそうしたいと考えているのならその方向でがんばっていただきたいと思っている。
思春期でもある彼女は、目立たないことをよしとしている。
その表れが、「ふつうでいたい」。
不惑の歳になってタガの外れた母親とは正反対。
タガの外れた母親から見ると、「ふつう」を維持したい人ほど苦労するんじゃないかと思うのだがどうだろう。
尋常ではない 「ふつう」の体勢
「ふつう」とはこの場合、平均値。
つまりボーダーラインにいることだ。
平均値はそのときによって変わるので、最新情報のリサーチが欠かせない。
世界中にアンテナ張っとかねばならぬ。
のんびりなぞしていられない。
「ステキなマイホームのぽかぽかリビングで家事のあいまにお茶してのんびり」とか、そんなヒマしてられるのか。
「ふつう」を維持する
ひょっとして、「ふつう」を維持していくのはものすごく難しいんじゃないだろうか。
ムスメが「ふつう」な生き方を目指した場合、彼女の持つ突出した理数の才能はひたすら抑えなければならないだろう。
出る杭は打たれると言うが、自然に出てきてしまう杭を自分で打たなければならないのはツラい。
すべての宅配ピザのコスパを計算するとか、セカンドオピニオンにおけるガン罹患率について検証するとか、好きなことを思いついてもほどほどにしとかなければならない。
注力すべきは平均値をキープし続けることのみ。
反対に、苦手な英語や歴史、地理的なものは平均値まで押し上げなければならない。
「ふつう」には自由がない
「ふつう」を維持し続けるこの生き方には自由がない。
まるで、自由思想が取り締まられる戦時中のようだ。
まるで、鬼姑に「わが家の嫁のあるべき姿」を押しつけられる若奥さんのようだ。
好きなこと・得意なことは、ことごとくガマンする。
キライなこと・苦手なことは、グイグイ底上げしていかなきゃならない。
そんな人生はキツいと思うが、どうだろうか。