ぼくがたまごやきをつくるりゆう
ぼくはたまご焼きが好きだ。
朝、オカーサンが作ってくれるたまご焼き。
少し砂糖が入ってて、ほの甘いたまご焼き。
たまご4個を使って作る、たっぷりしたたまご焼き。
あれを切らずに、1本まるごと食べるのが好きだ。
しかし、いつでも食べられるわけではない。
オカーサンは気が向いたときしかたまご焼きを作ってくれないし、みんなで食べるからって切り分けられてしまうときもある。
じゃあ自分で作ろう。
だって、たまご焼きが好きだから。

朝食は、たまご焼きとたまごかけごはん。
ぼくのたまごやき
わが家の5歳児は、自分でたまご焼きを作る。
5歳児だから、できあがるたまご焼きは写真の通り。
それでも本人は、大きいサイズなのにちゃんと巻けたってことですこぶる満足している。
前回はフライパン全面に広がって、くっついて、できあがったのはカサカサの炒り卵。
あれに比べたら上出来だ。
やった分だけ上手になるんだなぁ。
今日も食卓は平穏だ。
ぼくのひかげん
5歳児の調理なので、火の取り扱いはおぼつかない。
たまご焼きには色よく焼くための微妙な火加減が必要だ。
フライパンがあたたまるまでの強火、そして卵を流しこむのに最適な弱火。
そのための高度なコントロールはコンロの温度センサーのおかげで実現している。
熱くなったフライパンのフチにさわって、ちょっとしたヤケドをする。
そんなときは、自分で冷蔵庫から保冷剤を出してきてすぐに患部に当てる。
これまでの経験が活かされている。
今日もコンロ周りは大騒ぎだ。
好きのパワー
好きだからやる。
このシンプルな気持ちを自由にさせておくと、予想をはるかに上回る効果が現れる。
好きなことで突っ走りたい!
このパワーのすごさといったら。
これがもし、オカーサンが手を出し口を出し、あげくの果てには「もういいっ!」とフライパンを取り上げて自分でたまご焼きを作ったとしたらどうだろうか。
うっかりやっちゃいそうだけど。
自分でたまご焼きを作るなんてことはしなくなるだろう。
台所に入ってくるともなくなるだろう。
好きなことをやらなくなるかもしれない。
好きという感情を出さなくなるかもしれない。
自分のコドモがそうなるのはイヤだなぁ。
モノグサの結果
かといって、エラソーに教育論をブチまけるつもりはない。
私はただ、自分がメンドクサイと思うものを避けているだけだ。
好きだからやる。
このシンプルな気持ちにブレーキをかけるのは、だいぶメンドクサイ。
好きなことで突っ走りたいコドモを相手に議論するのは、だいぶメンドクサイ。
大人のルールに沿わせるためにコドモを諭す。
このメンドクサイ作業をしなくて済むのだったら、それ以外のことをなんだってする。
気が向かないときにたまご焼きを作るくらいなら、それ以外のことをなんだってする。
ハラハラしながら黙って見守るとか、たまご液の飛び散ったコンロを黙って拭くとか、溶けきらない砂糖が残ったボウルを黙って洗うとか。
おかげでコドモは、好きなことは伸びるが、そうじゃないところはサッパリだ。
たまご焼きは作れるが、調理のあとしまつはてんでダメなんである。