前回までのあらすじ
テレビの生放送に出演することになった私、事前の取材で結婚写真を念入りに撮影される。

イケメンと評判の夫をガッチリ捕まえる右手。
時同じくして、ちょっとオモシロい言葉に出会った。
それは、的がなければ矢は射られぬというやつ。
確かにそうだ。
いや、的なんてなくても矢を放つことはできる。
しかし、的という目標があるからこそ、そこにブチ当てるための加減をするのだ。
より強く、より正確に当てるための精進をする。
結婚についても同じことが言える。
2つの結婚について
若いときの結婚と、イイトシこいてからの結婚は違う。
移り気で向こう見ずな若者の結婚は、勢いさえあればとりあえずどうにかなる。
しかし、ある程度の経験を積んでからの結婚はそうはいかない。
自分はどうしたいのか?なぜ生きるのか?人生の目的はなにか?とかを考え深める年ごろになると、その考えが足かせとなり、スタートすらできない。
ハイ、ここから私の話ですよ。
最初の結婚には勢いがあった。
当然ながら勢いだけで長年継続するということはできず、やむをえず中断。
バツイチになってからはホノノンとしており、「結婚したい」とも「結婚はもうこりごり」とも思っていなかった。
それなりの縁がどこかであれば~ぐらいのもの。
だが、ある日突然「結婚したい!」と強く思うようになったのだ。
なぜ結婚したいのか
結婚したい理由は明確であった。
これから経年劣化していく親の家を修繕するときに、いつ実施すればよいか・どこに頼めばよいか・予算はいくらかなどを一緒に考えてくれる人が必要。
ひとりっ子の私にとって、家屋の修繕とかリフォームとかいうオオゴトは未知の世界だった。
そういうことは「大人」がするもので、「私」が関与することではなかったのだ。
今ならわかる。
ネットで検索して、地元の口コミを集めて、人脈を駆使して、見積もりを取り、予算を調整する。
どこから始め、なにをすればよいのか、ちゃんとわかる。
だけどあのときは右も左もわかんなかった。
自分がやんなきゃいけないのだけはわかるんだけど、どう手をつけたらいいのかさっぱりわからない。
そこで、そういうことを一緒に考えてくれる人生の伴侶を強く欲したのだ。
結局なにが言いたいのか
つまり、アレコレと知恵がついてからの結婚に必要なのは明確な理由なのだ。
「なぜ結婚したいのか?」
「結婚してどうなりたいのか?」
ついでに、「それを実現する方法は結婚でなければならないのか?」も。
私の場合、理由が明確だったおかげで相手の選定に迷うことがなかった。
そして、誠実・確実・真摯な相手を見つけることができた。

家の修繕を一緒に考えてくれる夫をガッチリ捕まえる右手。
とか言っている間に実家の修繕は両親がやってしまったので、いよいよわが家の修繕を考えねばならぬ。