「家に帰ったらご飯ができてる人」と「家に帰ってからご飯を作らなきゃならない人」とでは、家の外にあるものの見え方までが違う。もういっそ、別の星に生きている、くらいに思ったほうがいい。だけどこれは「家に帰ったらご飯ができてる」状況しか知らないうちはなかなかわからないんだよね(>_<)
お世話する人とされる人との溝について言及したこのツイート。
この時点で2.7万のリツイート、3.5万のいいねがついている。
共感する人がいかに多いかということだ。
おそらくここでの共感は、「家に帰ってからご飯を作らなきゃならない人」たちからの共感であって、別の星に生きていてものの見え方が違う「家に帰ったらご飯ができてる人」たちからの共感ではないだろう。
わが家の事情
私はどちらかというと「家に帰ってからご飯を作らなきゃならい人」だ。
仕事を終え、買い物をし、末っ子を迎えに行ってからバタバタと帰宅する。
そして食事を作る。
夫はたいてい私のあとから帰ってくる。
夫はここで言う「家に帰ったらご飯ができている人」だ。
私と夫は別の星に生きていて、ものの見え方も違うのだろう。
ついでに言うとコドモもまた、私とは別の星の人だ。
「家に帰ったらご飯ができている人」の真実
しかしだな。
「家に帰ったらご飯ができてる人」のすごさというものもあるのだ。
そのすごさといったら、「家に帰ってからご飯を作らなきゃならない人」にはとうてい太刀打ちできないことなんじゃないかとさえ、私は思っている。
それは、家に帰ったらすでにできているご飯を食べるということだ。
私からしてみれば、すごい。
入れ替わるとわかる
たまに私と夫の立場が逆転することがある。
私が残業し、夫が帰宅してからご飯を作るパターンだ。
ご飯を作ると言ってもふだんやり慣れていない人のメニューであるから、買ってきたお惣菜だったりレトルトカレーだったりする。麺ばっかりの焼きそばだったりする。
残業を終えて帰宅し、作られたものを食べるわけだが、「今日はそれを食べる気分じゃない」ということがよくある。
いや、作ってくれたことは間違いなくありがたい。
これから自分で作ることを考えたら間違いなくありがたい。
しかし「今日は気分じゃない」は、それとは別のもの。

今日はサバの気分じゃない‥‥。
作るのは許容範囲のもの
考えてみたら、「家に帰ったらご飯ができてる人」はいつもこうだ。
家に帰ってみたら予想もしなかったメニューが食卓に広げられている。
「今日は気分じゃない」と思っても、それを食べるしかない。
だが、それを毎回ガマンして食べているのかというと、どうもそうではないらしい。
「今日は気分じゃない」を一瞬で切り替えて、「いっただっきまーす!」にしているようだ。
実に懐が広い。
「家に帰ってからご飯を作らなきゃならない人」は、なんだかんだ言いながらも自分の好きなものを作っている。
よしんば純粋に家族の好みに合わせて作っているとしても、作っている過程でその心構えができている。
そのメニューを食べる瞬間へと、無意識に気持ちを上げていっている。

コロッケに向けて気分を上げていく。
食べるすごさ
「家に帰ってからご飯を作らなきゃならない人」は、「家に帰ったらご飯ができてる人」に対してなんだかんだ言いがちだ。
世のSNSには、「家に帰ってからご飯を作らなきゃならい人」の不満やあきらめが無数に投稿されている。
だけども、帰宅・即「今日は気分じゃない」メニューを目の当たりにする。そして瞬時に気持ちを切り替えることができるというのは、「家に帰ってからご飯を作らなきゃならない」私なんぞにはとてもマネできないすごいことなんである。
(ただしコドモは、作ってもらった食事にごく気軽に文句言ったりするけどね)