文章で伝えられるのは気持ちの2割だけ。
だからリアルでのコミュニケーションが重要だ。
という持論をふだんから展開している人から謝罪のメールが届いたときには、そりゃもうズッコケた。
これはもう数年前の話なのだが、そういや残りの8割の謝罪の気持ちについてはいまだに未払いのままである。
謝罪する側・される側
一方的な謝罪というのが存在する。
お手紙、メール、メッセンジャー。こういう類の、テキストで送りつけられる謝罪だ。
謝罪する側にとっては、相手の反応を一切気にしなくていいので気楽である。自分の気持をブチまけるのにはちょうどいい。
しかし、これを受け取るほうはどうか。
「ひとりよがりなこの謝罪に対して、私が時間と労力をかけて返答をしなきゃなんないの!?」という気になる。
謝罪をテキストで送りつけるというのは、逆効果になる可能性はらんだ行為なのだ。
逆鱗に触れる
前述の人物から謝罪のメールが届いたときは、まさにそうだった。
えっ、「メモじゃ気持ちは伝わらないのよ」って言ってたじゃん!
「だから話をしましょう」って、アンタいつも言ってんじゃん!
それなのにこれ!?
まさか、このメールを私に送りつけて、自分だけスッキリしちゃってるんじゃないだろうな!?
そもそも私はこの件について、謝罪が生じるほどのこととは思ってなかった。
この人物の言動は、本人がそうしたいと望んでいるからの結果であるから、私がどうこう口を出す筋合いではないナととらえていた。
ところが、ヘタな謝罪メールのおかげで逆に怒りの感情に火がついちゃったわけ。あーあ。
想いを伝える系のテキスト
ひょっとしたらこれ、謝罪に限ったことではないかもしれない。
熱烈な好意をテキストで相手に伝える、いわゆるラブレター。恋文。
受け取った相手にはまるでその気がないかもしれない。
そんなときは逆効果ではないのか。
「‥‥キモッ」と言われて終わりではないのか。
まとめ
そのテキストに相手目線がなければ、相手への配慮がなければ、それは一方的な送りつけでしかない。
リアルでのコミュニケーションが重要なのは、目の前の相手に対して配慮が生じるからだ。
謝罪をしたい相手、熱烈な好意を告白したい相手を目の前にしておいて、ひとり芝居はあるまい。
ブログだってテキストだ。
私も、まさかこれですべてが伝えられるとは思っていない。
読む人への配慮が必要なのだ。
あと、「言うこととやることは一致させといたほうがいい」というのも、この件で学んだ教訓である。