巡り巡って自分のもとへ
「ゴキゲンはオトナの義務である」ということを以前に書いた。
不機嫌は周りへ伝わり、巡り巡って自分に返ってくる。
結局、自分をゴキゲンに保つことは自分のためなのだ。
というような話。
この「巡り巡って」の部分をシンプルに描いた絵本の紹介とともに、どこのお宅でも繰り広げられているであろう不機嫌が伝播する様子を書いているので、そのときのブログもぜひどうぞ。
義務?
自分で書いといてナンだけど、実は近ごろ「ゴキゲンはオトナの義務」という言い回しが気に入らない。
上がり調子の、それこそゴキゲンなときはこの言い方も悪くない。
しかし、下降モードで自分に自信が持てず、周りからのごもっともな話が素直に取り入れられないときもある。
そんなときに「ゴキゲンはオトナの義務」とか言われても、知ったことかである。
これはあれだな。
「義務」という言い方がイカンのだな。
なにがイカンのか
「義務」とは、やらねばならぬこと。
ホントはどうでもいい。どちらかといえばやりたくない。だけどそうも言ってられない。
そういう、ムリヤリ系のやつだ。
やる!やる!やりたくってしょうがない!
自分の中から湧き出てくる、そんな衝動をエネルギーにしたほうが動きが速いし気分がいいし、なによりうまくいく。
他人は変えられず、自分で動かせるのは自分だけである。
この原則がハラ落ちしてからというもの、主体的であることの効果をことあるごとに感じている。
好きにしていい
「義務」と言う言い回しが気に入らないのなら、別のものにしてみよう。
「権利」はどうだ。
「ゴキゲンはオトナの権利」
あぁ、いいねぇ。
これなら素直に受け止めることができそうだ。
それどころか、自分がゴキゲンであること、自分でゴキゲンを保つことに遠慮や罪悪感を感じなくてすみそうだ。
自分をいい状態にしておくこと。
これは私に許された行為であり、誰も阻むことができないのだ。
あぁ、いいねぇ。この解放感。
なんて爽快な気分なんだろ。
うん、今度からこれを採用することにしよう。
「ゴキゲンはオトナの権利」
「じゃあコドモはどうなのか」とかいう新たな疑問もわいてくるけれど。その話はまた今度。