忘れるということ
物忘れは、程度の差はあるだろうが誰にでもあるもの。
自分にとって重要なことは決して忘れないが、反対に重要でなものはどんどん忘れてしまう。
自分はなにが好きなのか。
なにが自分をゴキゲンにさせるのか。
そんなことを常に考えている。
おかげで、自分にとってなにが重要なのかがずいぶんとハッキリしてきた。
しかし、それと同時に私の物忘れはひどくなった。
私の頭の中には、重要でないものに使う余裕のメモリはないらしい。
完全に忘れて、それですむのならいい。
だがたいていのことはギリギリになってから否応なく思い出す。
そして「シマッター!忘れてたー!」と大慌てをすることになる。
思い出したときのダメージが大きいとツラい。
物忘れそのものはともかく、思い出したときに負わねばならないリスクがキツい。
今日の話
例えば朝、迫りくる出勤時間に負けて一部の家事を諦めることがある。
今朝は朝食の食器を洗うのを諦めた。
台所のシンクには使った食器が汚く放置されたままだ。
そんなもの、帰宅してから改めて洗えばいいのだ。簡単なことである。
しかし、帰宅するころにはシンクの中に朝の食器が残っていることなどすっかり忘れていしまっている。
そして台所で現実を目の当たりにして愕然とするのだ。
またあるときは
天気がいい日はシーツを洗い、庭先に干して出かける。
夕方、早めに帰宅して取りこめばなんの問題もない。
ところがシーツを干しているのは、出かけたとたんすっかり忘れる。
忘れているから、早めの帰宅どころか、残業や買い物などをし、日もとっぷりくれてから家に帰り着くのだ。
暗い庭にひんやりと冷え切ったシーツがはためいている光景を見て、朝の洗濯と昼の快晴を思い出す。
汚れた食器も冷えたシーツも、ものすごいダメージを私に与える。
生活の中の工夫
だから忘れないように、思い出すようにといろんな工夫をして生活しているわけだ。

車に乗れば自動的に「シーツを干している」ことを思い出すメモ。
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