難解なアート展に見る、「そうしたい」を貫く生き方

ナンチャラ展と称されるアートイベントを、みなさんはどんな感じで鑑賞しているのだろうか。

芸術はわからないとか絵心がないとか、そんなんで敬遠しがちなアートイベント。
行ってはみたけどどういう気持ちで見たらいいのかさっぱりわからず、順路矢印と出口矢印に安堵するなんて経験はないだろうか。
「有名だから一度は見とかなきゃ」とか、解説プレートを読んでから頷くとか、パンフレットに掲載されている作品の確認作業とか、そういう鑑賞経験もあるだろう。

イサム・ノグチ展

ついでだから行ってみたイサム・ノグチ展。
べつの展示を見に行った際にたまたま見つけたイサム・ノグチ展。
「どっかで聞いたことある名前だから有名どころに違いない。なら一度は見とくか」的なノリで行ってみた。

展示場の作品群についてはなにも言うことがない。
どういう気持ちで見たらいいのかわからないものが大半である。

「これはどうやって使うものなのか?」
たぶんそんな実用的な物ではないのだろうが、どうしても感性がそこから抜け出せない。

ダリ展のときもそうだった。
ぐにゃぐにゃした「飾っとくだけの物」がよくわからない。

ダリ展

まぁ、他人の作品なんだからすべてに「いいね」を感じるほうが不自然とも言える。
ほとんどの作品に「ふーん」、ひとつふたつに「ほほう」と感じる程度。

そんなことより、私が鑑賞のポイントとするのは作家の生きざま。
入り口すぐに掲げられている略歴や、作風に影響を受けた人物やできごと、その変化をまとめたものだ。

そこには、作家の「そうしたかった」が表れている。
「そうしたかった」からそうした、その結果がここに並べられている作品なのだ。
そう考えると、とたんにロマン感じてしまう。
作品群が別のものに見えてくる。
作家が作品を愛でる姿が見えてくる。

私が知りたいのは「なぜこの作品が生まれたのか?」なのだ。
そこにしか興味がない。
他人の「そうしたい」が魅力的でたまらない。

こうしたい会社

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