最優先事項
私が最優先にするのは「自分を満たすこと」だ。
自分が満足してからでないと、他人に配慮する余裕なんぞ生じてこない。
このブログのドメイン名は「マズジブ(mazu-jibu.com)」。
私は自分を満たすためだけにブログを書いている。
ここで充分に自分が満たされ、あふれ出した分でブログを読む人に貢献できれば私は本当に嬉しく、さらに自分が満たされるのでさらにあふれ出して‥‥ここからはエンドレスな好循環だ。
極論を試す
自分の理念をマズジブということにしていると、極論をぶつけられることがある。
「自分さえよければ満足で、人には譲らないというの!?」とか「非常時で子どもがおなかをすかせていても、それでもマズジブで自分がたらふく食べるのか!?」とか。
バカだねぇ。
検証をすることで論理のねじれが見えやすくなるから、実験的に極論をあてはめてみるのはどしどしやってみるべきだ。
実際、私もこの極論を試して自分の理念について考え、その実験を経て確信を持つに至っている。
だけど、その極論はちょっとズレてるんだよ。
マズジブの意味
マズジブってのは「われ先に」という意味じゃない。
「自分を満たすことを最優先にする」だ。
満足しなければ意味がない。
おなかをすかせたわが子をしり目に自分が満腹だなんて、それで私が満足するのか?
満足するのは胃袋だけじゃないか。
ズレてるというのはそこだ。
満たすべきは自分の気持ち。
この場合なら、満腹のわが子を見届けるのが私にとってのマズジブだ。
他人優先
「子どもがいるから出かけられない」
「夫が文句を言うから新しいことを始められない」
「姑がイヤな顔をするから言えない」
こういうのは「やらない言い訳」だと非難されがちだが、私は大いにアリだと思っている。
その人が優先したのは、子どもであり夫であり姑なのだ。
周りの人との関係性が考慮された結果、自分以外のものの優先順位が上がるのは悪いことではない。
私の「満腹のわが子を見届ける」だってそうだ。
子どもがいるから云々、夫がいるから云々というのは私もよく使っている。
そのときに私が優先しているのは子どもとすごす時間や夫との関係性なのだ。
なにをどう優先するかは他人が口をはさむことではない。
ここで注意したいのは、その判断は自分の本当の気持ちなのかというところ。
要するに、主体的な選択をしているかだ。
マズジブでゆとりを
例えば、わが子が読み聞かせをおねだりしてくる。
読み聞かせのおねだりはたいてい就寝直前のウトウトしかけたとき、あるいは私にも読みたい本があるとき。
こういうときにオカーサンは板挟みを感じませんか。
子どもの要望に応えてやりたい!
でも眠い!
でも読みたい!
ここでちょっと素直になってみる。
そして子どもにこう言うのだ。
「眠いからイヤ」あるいは「本を読みたいからイヤ」と。
不思議なことに自分の素直な気持ちを吐露した瞬間、余裕が生じる。
「イヤって言ったけど、読み聞かせをしたい気持ちもあるから読むよ」
こうしてなんのストレスも板挟み感もなく読み聞かせに取り組める。
満たすべきは、あくまでも「自分の気持ち」なのだ。
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