米を研ぐ
米を研ぐのがメンドクサイ。
わが家では1日1回だけごはんを炊く。
1日に1回しかやらないことなのに、米研ぎがメンドクサイ。
雑な工夫を施し、泡だて器で米を研ぐようにしたが、それでもかなりメンドクサイ。

なぜかいつも、すべての片付けが完了したときに思い出す。
どの程度まで研げばいいのかよくわからないのがメンドクサイ。
米がこぼれないよう気を使いながら水を替えるのがメンドクサイ。
とぎ汁を下水に垂れ流すのはいかがなものか、というのがハッキリわからないのがメンドクサイ。
メンドクサイを連呼していたら夫が代わりに準備をしてくれた。
「ただし、米は研いでないからね」という強気の姿勢で。
米を研いでない、だと!?
頼んだのは私。任せたのは私。指示しなかったのは私。
自己責任ではあるが、どうなのソレ。
縛りから逃れてみる
米を研がずに炊飯器にセットしたのなら、今さら仕方がない。
研がない米がどんなお味なのかを知るいいチャンスではないか。
どんな味に炊き上がろうとも、自分のやった結果なんだから夫も文句は言うまい。
つか、研がない米の炊き上がりは私も興味がある。
だって玄米はそのまま食べるじゃん?
無洗米だって、浸した水が濁るじゃん?

白濁。
このとき気づく。
自分の「こうしたい」と「せねばならぬ」の間で板挟みになっていたことに。
「こうしたい」は、米研ぎやめたい。
「せねばならぬ」は、水が透明になるまで研ぐ。そうしなければオカーサンに怒られる。
ちなみに泡だて器で米を研いでいることは、実家の母には内緒にしている。
母が見ているときは冷たい水とタナゴコロで、水が濁らなくなるまでしっかりと米を研いでいる。そしてとぎ汁はバケツにためて畑に撒く。
そうしておけば母と娘の関係は安泰だろう。
この際だから、縛りから逃れたい。
もう不惑の年じゃないか。
研がずに炊いたごはんの結論
研がない米のごはんはアリだ。
まるで気にならない。
研ぎまくった米と、なにが違うのかわからない。
やや黄色っぽい?
ちょっと濃いめの香りがする?
がんばって神経を研ぎ澄ませれば、そういうことに気づく。その程度。
調べてみれば、精米技術の向上した現代の米は研がなくてもいいらしい。
むしろ研げば研ぐほど甘味と旨味が減るというじゃないか。
なんだったんだ、あの冷水とタナゴコロ信仰は。
つくづく、疑うべきは「常識」である。
私のやり方でやらせていただきます
これでもう米研ぎから身も心も完全に開放される。
泡だて器も不要だ。バンザイ。
しかし、母が見ているときはどうする?
米研ぎの不要がハッキリした今、科学的なデータと自分の体験をもって母を説得できるのではないか。
少なくとも、私のやり方に文句を言わせないぐらいのことはできるのではないか。
てな感じで息巻いて研究結果を述べると、母はそんなことはとうにご存じで「研ぐと栄養が減るのよ」とか言ったりするんだろうなー。
「オカーサンに怒られる」とかいうのはたいがい気のせいなのだ。
【これも気のせい】
コメント
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[…] よっしー流、米を研がずに炊く戦法! […]