食べたいものを、食べたいときに、食べたいだけ、食べているだろうか?
要するに、食べることに制限を設けているか?ということなんだけど。

ここで止めるか否か。
変わる「食べかた」
どうも近ごろ、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べている。
家族のために朝食は作るが、自分自身は気分が乗らなければ食べない。
このあとおなかがすいたタイミングで食べればいい。
ただし、決められた昼食時間まで自由に食べることのできないコドモズには優先的に食べさせる。
職場には決まったランチタイムなどない。
だから、気が向いたときに食べる。
もちろん、外部の人とのアポイントや業務内容に基づく調整はする。
あと、飲食店の営業時間も考慮する。
帰宅したら夕食を作らなければならない私は、夕食を作るころハングリーになるように、午後以降の食べる量やタイミングを調整する。
なぜならば、胸焼けするほどの満腹では調理意欲が萎えてしまうから。
「ハラ減った!」とまとわりついてくるコドモズを邪険にしてしまうから。
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食べ盛りの子ども3人を育てているオカーサンが、常にハングリー精神を保っている理由
「食べる」の選び方
食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べている。
だからと言って暴飲暴食に走るわけではない。
自分のハラ具合と相談しながら食べている。
もっと正確に言うと、自分の気持ちと相談しながら食べている。
飲食店の多彩なメニューを前にするとき、こんな想像をしていないだろうか。
「今これを食べると‥‥あーなって、こーなって、結果的にこんな気持ちになる」
食べたときの様子をシミュレーションして、その結果について検討する。
「こうなるであろう自分」は本当になりたい、望んでいる自分なのだろうか、と。

「あれを食べると‥‥あーなって、こーなって‥‥ぐぬぬ‥‥」
たかが食べ物のオーダーぐらいで自分の本質なんてとこまで深掘りするなんて、実にメンドクサイ。
文字にするからメンドクサく見えるのであって、実際に検討しているのはほんの短時間のはずだ。
なにが言いたいかというと
どうも近ごろ、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べている。
「なにをいつ食べるか」を、体重や健康状態なんかではなく、気持ちで選んでいる。
つまりそういうことだ。
まさに今!食べたいもの。
食べたとき、食べたあとに充分な幸福感と満足感が得られるもの。
そんな基準で食べるものを選んでいる。
おかげで、食べることがとても楽しい。
これから先は、好きなものを好きなときに好きなだけ食べる人生だ。
長生きせねばなるまい。

たらふく食べるときもある。