
自動的に弟の世話をする「準保護者」
難易度高め「はじめての大人の事情」
思春期に入った娘がこんなことを言った。
最近やっとお母さんの言ってることの意味が分かるようになったよ。
前は「なにを言ってんだろ」と思ってたけど。
これまで私は娘に対して、大人の感覚を手加減なしでまるごと投げていた。
子どもにはあまり詳細が語られることのない、いわゆる「大人の事情」というやつも、ありのままを話して聞かせていた。
子ども向けの脚本と、加筆訂正した改訂版・大人向け脚本の2本を作るのがめんどうだから。
やはり子どもに大人向け脚本は難解だったらしく、私の言っていることは通じていなかった模様。
でも今は理解できると言っている。
それでいい。
社会訓練校の訓練生
子どもに対して、大人が情報を選別して与える必要性を私はあまり感じない。
私が育てている子どもたちは、社会に出ていくための練習をしている訓練生である。
わが家は社会訓練校。
訓練メニューは実地に即しているほうがいい。
だから私は、子ども向け訓練メニューを作っていない。
実地メニューは、訓練生のレベルによっては難解でつまらなく感じることもある。
娘の経験で言えば、小学校の真ん中あたりまではまったく興味をそそられなかったようである。
ところが小学4年生あたりでなにかが見えるようになったのか、急に喰いついてくるようになった。
やって覚えるバランス感覚
大人扱いされるということは、自由が認められるということである。
しかし、自由には必ず責任がセットになっている。
子どもにはツラい選択である。
自分がほしい自由はなんなのか。どれくらいなのか。
それにはどんな責任が、どれくらい伴うのか。
反対に、自分が全うできる責任はどれくらいなのか。
そのバランスは体験しながら覚えるしかない。
なんだかんだ言っても自分のため
エラソーな教育論を吹いたように見えるが、なんだかんだ言って結局自分のためなのである。
子どもにわかるように変換するのがめんどくさいのだ。
子ども向け脚本なんて、数年もすれば廃版である。
変換に使うエネルギーは他のことに使おう。
大人の社会感覚を家に持ち込んで子どもに使うのは、私にとっては大変な勉強なのである。
仕事と家庭、大人と子ども、そもそも地続きであるものを区別するほうが不自然だ。
娘が大人感覚に喰いついてくるようになってから実感したことであるが、大人扱いされたとき、子どもは飛躍的に成長する。
そして「ものすごく頼りになる仲間」になる。